私を穢して、そして愛して

翌朝、私はお酒を飲んだ翌日なのにも関わらず、シャキッと目覚め、朝食の支度をして家族を送り出しました。
家事をしている間中も機嫌がいいんです。
鼻歌まで口を飛び出す始末で。

掃除機をかけながらも見慣れた我が家が何だかキラキラ輝いて見えるんです。
空気に光の粉が交じっているみたい。
その秘密が解けたのは午後２時にピコンと鳴った私のスマホ。
憲太さんからのLINEでした。

乃里ちゃんおはよう。昨日お酒飲んだけど大丈夫？
俺は今まで得意先回りだったよ、今から昼メシ。
腹減ったよ(T_T)

夜にしか来ないと思っていたLINEがいきなり来たので驚くと同時にうれしかったです。
うん、全然平気だった。今からお昼なの？忙しいのね。相変わらず気の利いたことは書けません。
ま、いいか。
昼間っからジュテーム・モナムールの世界じゃ重たくてかなわないだろうし。

夕方、乃里ちゃんのところに行くよ。５分間だけ顔を見に行ってもいい？



えっ？そんなこともできるんだ？私はこのうれしいサプライズに驚来ました。
うん、うれしいな。けど私、今日は外出予定がないからスッピンで恥ずかしいな。
そんなことどうでもいいの。ナチュラルな乃里ちゃんにも会いたいの。５分だけ、いいでしょ。
憲太さんはさすがにプロパーさんをしているだけあって私なんかよりずっと話をまとめるのがじょうずみたいです。

分かった。待ってるね。そのあと、勇気を出して付け加えました。ちょっとだけでも合えるのがうれしい。
私はドキドキしながら夕方になるのを待ちました。



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やがて、注文していたお料理が運ばれて来て、本当だったら女の私がするべきなのでしょうが、池田さんはサラダを取り分けてくれたり、とにかくマメでした。
そんな池田さんに甘えちゃいたいような気もして、私は手を出さずにいました。

なんか、器用なんですね、取り分けたりするの。思わず口にしてしまいました。
いやー、僕、学生時代こんなバイトが長かったんですよ。なんか習い性になっちゃってて、鍋奉行もいーい仕事しますよ。と、笑っていました。
えっ、お鍋仕切ってくれるの？そう言う人好き。今度、お鍋に誘ってもいいかなぁ？私は思わず前のめりで言ってしまいました。
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えっ、僕なんかでいいんですか？僕、うるさいですよ。池田さんの答えにちょっと「逃げ」を感じて私は落胆しましたが、お酒の力を借りてもう一押し。
しゃぶしゃぶとか良くないですか？ほら、あのお店・・・行ってみたいんです。
私は市内にある落ち着いた感じのしゃぶしゃぶ屋さんを言いました。
実際、主人は外食ばかりだし、子どもはしゃぶしゃぶなんか食べません。



奥さん、ご家族では？池田さんが怪訝そうに言い、私は不覚にも涙をこぼしてしまいました。
慌ててバッグの中からティッシュを探しだし、メイクが崩れないように涙を押さえて、池田さん、どこまでうちのこと分かってます？と、探りを入れてみました。

僕は最近から担当になったんで、分かってないんです。何があるんですか？
もう、全部お話しちゃいますね。主人には女性がいるんです。色々接待されて、女遊びを覚えてしまったみたいで、うちにはほとんど帰って来ないんです。こどもはしゃぶしゃぶより焼肉なんです。
池田さんはしばらく考え込んでいる様子でしたが、私が今夜会いに来た意図を悟ったのか、心を決めた様子で、奥さん、僕が鍋奉行やります。しゃぶしゃぶ食べに行きましょう。ただし、あのお店は僕の月給ではちょっと正直を言わせてもらうとキツいので、奥さんにご馳走していただきたいんです。ここはもちろん、僕が支払いますよ。

私の心を光が照らしました。
ホントに、いいの？
鍋奉行に、二言はありません。
じゃ、お約束してね。もちろん私がスポンサーになります。奥さんって言うの止めて、乃里子って呼んでくれたらうれしいな。
奥さん、はちょっと失礼でしたね、ふたりの時は乃里子さんって呼ばせてもらいます。僕も憲太って呼んでください。

ふたりの距離が近づき始めたような気がします。

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え～っ、私、居酒屋に行ってもナンパされたことないし(´・ω・`)
「お持ち帰り」されてみたいな。
乃里子をどうぞよろしくお願いいたします。

池田さんとのお約束の日が来ました。
主人にはその日、池田さんと会うことは言っていません。
敢えて朝、主人の帰宅時間も尋ねませんでした。

けれども子どもにだけは留守にすることで気が咎めるので、夕飯のおかずを彼が好きなチーズハンバーグにして、温め方を書いたメモをテーブルに置いておきました。
そんなことくらい一般常識で分かる年頃だと思うんですけれど、後ろめたいことがあるとつい、過保護になってしまいます。

池田さんはお昼過ぎに電話をして来て、お店の場所と予約した時間、それからお店の電話番号を教えてくれました。
自分もちょっと飲みたいので、車で行かないことにします、お迎えにあがれなくてすみません。
と、折り目正しく言われて、そんなこと気にしなくていいのに、と前のめりに思いました。

宵の口、池田さんが予約をしてあったお店までタクシーで行くと、もう彼は先に来ていました。
ちょっと小洒落た感じの小さな居酒屋さんです。
主人の接待のお供でうんとお高いお店か、ママ友さんたちとのおしゃべりに使うファミレスや簡単なカフェにしか普段行かない私はちょっと緊張して池田さんに向かい合って座りました。
普通の主婦がそんなに居酒屋慣れしていたらおかしいですね。

丁度、私が座った席から窓越しに夜景が見えました。
飲み物を聞かれて、迷ったんですけれど、池田さんも手伝ってくれると言うので、スパークリングワインを１本注文しました。



乾杯してすぐに、忘れないうちにお渡しします。と、私はこの夜の口実のネクタイを渡しました。
池田さんの好みが事前に分かっているわけではないので、背格好と見た目年齢で、それより一段地味目なデザインのアルマーニのネクタイにしたんです。
どんな感じがお好みか分からなくって、勝手に選んでしまったんですけれど。言い訳がましく私が言うと、いえ、ありがたいです、本当にありがたいです。僕らお分かりでしょうが、仕事柄ネクタイは何本あってもうれしいんです。と、言ってくれました。



そう？じゃ、あと10本プレゼントしなくちゃいけませんね。
勇気を出して、少し二人の距離を縮めたくて軽口を叩いてみました。
私がこんなことを言えるなんて、自分でもビックリです。
池田さんは私の意図が分かってくれたのか、笑顔で、僕もお供してもいいでしょうか。と、言ってくれました。
二人の距離・・・、少し縮まったかな？

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お昼がいいか夜がいいか、って、ランチじゃなんだかあんまりにも素っ気ない。
私の希望は夜、じっくりと会って、池田さんのことをもっと色々知りたかったんです。
池田さん、お酒は召し上がりますか？
嫌いじゃないですよ。
でしたら、お時間作っていただけるんでしたら、軽く飲みながらとかいかがですか？私、そんなにたくさんは飲めませんが、ちょっと飲みながらお話ができたらうれしいかなって思って。
私の希望を伝えると、池田さんは２日後の夜を指定してきました。

えっ、２日しか会うまで猶予がないの？心の準備ができてない。
主人はどうでも良いとして、子どもはもうひとりで留守番もできる年齢なので、食事の支度だけしておけば私が夜、家を空けることに問題はないんです。



翌日、いても立ってもいられなくなった私は、生まれて初めてネイルサロンへ行きました。
少しでも生活に疲れた主婦だと池田さんに思われたくなかったんです。
ネイルサロンで私は緊張していましたが、ネイリストさんがフレンドリーに色々話しかけてくれてうれしかったです。

そんな私の小さな変化に気付くような主人ではありませんが、子どもとふたりで夕飯を食べている時に、お母さん、なんかおかしいと思ったら爪どうしたの？と、突っ込んできました。
男の子でも気付くものなんですね。
ネイルしてもらって来たの、おかしい？
お母さんはもう、ネイルなんかする歳じゃないよ。
えっ？何歳ならいいの？
ギャルでしょ。30歳以上の人はダメでしょ。
何にも知らないようでいて、意外と鋭い子どもの指摘に私はうろたえました。



ネイリストさんは50代でも60代でもお客さんがいるって言ってたんだけどな。意気消沈して言うと、そんなのリップサービスでしょ、お母さんそんなことも分からないの？と、トドメを刺されました。
子どもは親の鏡。
私、何か子育て間違ってしまったのかも。

とにかく、翌日を万全の体調で迎えることができるように、その夜私は早くベッドに入りました。

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池田さんはトマトを置くとすぐに帰って行きましたが、私としては引き留めてしまってはいけないけれど、もう少しだけお話したい気分でした。
まだ30代半ばくらいで細身のおとなしそうなルックスの男性です。
その時ふと、彼が私をきらめきの世界に誘ってくれるような予感がしたんです。

プロパーさんにちょっかいを出してしまって、うまくいっても破綻しても私に取ってはリスクが大き過ぎる。
眠りにつく前に大事にしまっておいたキャンディを舐めるように、池田さんのことを思い返しました。
リスクとエモーションを秤にかけて、私は自己責任でゴーサインを自分に出しました。
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翌朝、子どもに朝食を出し、主人にコーヒーを出しながら、昨日の池田さんの来訪を主人に告げました。
持って帰るのも荷物になるから、お前に直接渡すように言ったんだけど、どうだったか？うまかったか？
夜遊びしたいからうちにトマトを運ぶのが面倒だったんでしょ、昨夜も主人は帰宅が遅かったみたいだけれど。
とってもおいしかったの。いただきっぱなしじゃいけないから、何かネクタイでも見繕って差し上げたいんだけど、あなた、池田さんの連絡先分かってる？
うん？ああ、分かっていると思うよ。携帯の番号でいいのか？主人はその場で携帯を取りだし、連絡先を検索し始めました。
もちろん、私には覗かれないような絶妙な角度です。

ほら、なんかメモ用紙あるか？持って来てくれ。池田さんの番号が見つかったようで、手早く名前と携帯番号をメモすると私に手渡し席を立ちました。
ふうん、池田憲太さんって言うんだ。主人に渡されたメモを見ながら、私の心は一瞬温かくなりました。
でも待って、私はまだ、彼のことを何も知らない。
恋人がいるかも知れないし、最悪、既婚者の可能性もある。
電話番号が分かったからって池田さんが私と言う女をオールＯＫで受け止めてくれるわけではない。
そこは重々承知のうえで、ちょっとずつ距離を縮めたいなとか思い始めていました。



翌日の午後、時間がちょっとあったので、私は早速デパートに行きました。
もちろん、池田さんの好みが分かっているわけではないので、店員さんに相談しながら品定めをしました。
こんなに楽しいお買い物は久しぶりのことです。

なんだか気分が浮かれていたので、デートに誘われているわけでもないのに秋服と化粧品も少し買って来たので、思いの外時間がかかってしまいました。

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